002)自分の考えが正しいわけではない。
002)自分の考えが正しいわけではない。
安定した人生を望むなら、何事につけても「より優れた考え」と「より優れた判断」
が存在するという事実から目を離さず、これら二つを見失わないよう、自分の思索を
見張ることだ。
自分の考えが一番正しいのではなく、自分の判断が最善なのでもない。
自分の知っていることなどごくわずかだし、自分が経験してきたことなどとるに
足らない。
実は知らないことの方が多いのだから、考えてみれば当たり前だ。
それなのに人は、小さな「自分の考え」で「判断」したことが実現することこそ
幸せになる道なのだと思い込み、思ったとおりにならないと思い悩む。
しかし、人生は理解できないことや、納得のいかないことだらけだし、自分の
思ったとおりにならないことの方が多いのだ。
小さな子どもが、うれしそうに鋭利な刃物を振り回しているのを見たら、
親は子供が泣こうがわめこうが、その子の手から刃物を強引に取り上げないだろうか。
子どもは親が一緒に遊んでくれると「考えた」かもしれないが、大人の「判断」
によれば、それは極めて危険な状態だったということだ。
子どもには理解できないし、納得もできない。いつかわかる日が来るまでは。
そのように、自分には理解もできなくても、今の自分にはわからないだけで、
より優れた考えによれば、そこには意味があり、より優れた判断によれば、
「それでよかった」に違いないのだ。時が来ればそれはきっとわかるようになる。
この視点を決して失ってはならない。
そうすれば、思ったとおりにならないとき、理解できないとき、不安や心配に
押しつぶされてしまうことはない。
わからなくてもいいのだ。思い描いたことと違う結果でもいい。わかる人が
見たらわかる。自分にもいつかわかるときがくる。
この視点を失うことさえなければ、あなたは決しtつまずかないし、倒れて
しまうことはない。
箴言3章21~24
超訳聖書 古代ユダヤ賢人の言葉:ディスカバートゥウエンティーワン より
自分の判断が全て正しいわけではない、正しい正しくないではなく、選んだ
選択肢に責任を持つか人のせいにするか、一度選んだらそれに突き進み、次の
場面で自分が選んだ場面に対して責任を持ちそこでも一番いいと思えるものを
選択できるかの繰り返しに思う。それは御心に叶うように努力するのと同じはず。